パソコンを叩くのをやめ、椅子に坐りながら大きく伸びをする。
一息ついて時計を見ると、二十一時を半分ほど過ぎていた。
もうすこしだけ頑張ってから帰ろう。
そう思い、またモニタ画面に熱中する。


こんこん、
と扉を叩く音がした。わたしは、「どうぞ」とキーボードを叩きながら言う。
切りのいいところでエンターキーを押し、確定してようやく振り返ると……
そこには会長が立っていた。
驚いて、頭の中に用意していたものがすべて吹っ飛んだ。


会長が、扉を後ろ手で閉める瞬間。外のオフィスの社員が驚愕してこちらを見ている顔が、見えた。
それはそうだ。系列会社を総べる峯会長が、子会社の女子社員の個室に入っていったのだから。
わたしだってすごく驚いた。


「会長……」
「……この配列がおかしい」
「へ?あ……」
「それでも作動するが後で引っ掛かりが生じるかもしれない。悪癖だと自覚しろ」
「は、はい……」
「………」


カチカチ、とマウスでスクロールする画面を見る顔を、白い光が照らしている。
神室町に泊まった日から……四日経っていた。その日から一目も見ていなかった。その間、寂しいとは思わなかったけれど……いまは目の前にある、同じパソコン画面を覗きこんでいるその近さが、心にざわりと波風をたてる。
会長の匂いがする。……それは香料の内側にある、彼の肌の匂いを知っているからこそ嗅ぎ取れる、微かなものだった。
……いけない。しっかりしなければ。


「あの……きょうは?」
まさか修正に来たわけではないだろう。彼はざっとわたしの仕事内容をチェックして、結局もう粗がなかったことに冷たげに微笑した。
「社長に用があって出向いたんだが」
「はい」
「……」
「……?」
「送っていく。……」
「……」
「帰る支度を」
「あ、は……はい」


かあ、と赤くなってしまう。
慌ててパソコンを落とし、すぐにジャケットを着てバッグを抱えるわたしを一瞥して、会長は扉をがちゃりと開けた。
扉を開けると、オフィスにいた社員たちは皆一斉にうつむいて、仕事に取り掛かっているふりを始める。そうしながら彼らが、「お疲れさまでした」と声を掛けてくる。
会長は彼らを見もしないでさっさと行ってしまう。
わたしはなんだか無性に恥ずかしかった。


車の中に乗ると、恥ずかしさも薄れて、ただ一緒にいれる幸福感に包まれる。
となりを見ると、会長がいる。
いままでは、真正面しか見ることを許されていなかった。だがいまは、公然とその横顔を見つめていてもいいのだ。
「……」
会長はじろじろ見られて、すこしいやそうにしているけれど。
「あの。……わたしの家、寄って行かれますか?」
ドキドキしながらそう言う。彼は無表情のまま、信号で停止するためになめらかに減速させた。ふわりと停車し、赤い光が車内に差し込んでくる。
「……いいのか?」
「……もちろんです、」
「……」
「……」
ドキドキ、する。
会長は黙りこんでいるけれど、彼はいまなにを考えているんだろう。
信号機を睨んでいるその顔が、少なくともわたしのことを考えているのではないと、思わせた。






ちゅっ、
まだ明かりのつけていない玄関で、くちびるを奪われる。
扉の鍵を掛けるために伸ばした右手が、行き場を失くして、ぱたりとスカートに落ちた。
鍵は、キスしながら会長が掛けてくれた。
壁に押さえつけられて、ちゅっ、ちゅっとなめらかな冷たいくちづけが落とされる。
「……会長」
「……」
「会長って、いっぱいキスしてくれますよね」
「……」
暗がりの中、眉をひそめた彼の瞳に、白いハイライトが射すのが見えた。


「いやなのか」
「いえ!その……嬉しいなって。会長ってそういうタイプに見えなかったので」
「……」
興が削がれたらしく、彼はわたしを壁に押し付けるのをやめて、靴を脱いで部屋に上がった。
余計なことを言ってしまった、と思いながら、まだ彼のくちびるの余韻を刻むそこに、体が熱くなる。
振り向きもせず彼は言った。


「そうした後の──おまえの顔が見たいからだ」


……。
わたし、どんな顔しているんだろう……。
きっとうっとりして、のぼせあがった顔しているに違いない。






……」


くちびるに、くちびるがそっと触れ、そっと離れる。
ベッドの上で、裸で抱きあいながら会長は、切なげに目を細めた。
「……っ」
指が、下から上に這い登ってくる。ぞく、とする喉元に、彼はくちびるを落とした。
のけぞる体を、力強く受け止めてくれる腕がある。


「あの……会長」
「……?」
「わたしの家、その。用意がなくて……」
避妊具の……。


会長は眉を寄せて仏頂面をしたが、「いや……」と苦々しげに言った。
「ある。」
「あ……会長が」
「余計なことを考えなくていい」
「は、はい……」


するするする、
裸体にシーツがこすれて気持いい。シーツのまにまに隠れていくわたしの胴体を、会長が暴いて、上に乗ってくる。硬く、しなやかで、熱い体が、とてもきれいだった。


「んっ……!」
「……、」


きゅう、と中が真空になっていて、会長のものを締めつけてしまう。
彼は目を閉じて、苦しげに息を殺した。
すべてが入ったとき、ゆっくりと、硬く戒めた睫毛がほどけて、目蓋が持ち上げられる。
そうしてあらわれた、澄み切った瞳が、わたしの部屋の天井を背景に、そこにある。
すごい光景だと思った。……


動くと、ギッ、ギッ、ギッ、とベッドの音が鳴る。
下の階に響いていないか冷や冷やする。
くぷ、と奥のくぼみにあたると、
「ああ……!」
と大きな声が出た。


「静かに」
密やかな声で、会長が言う。
「あっ、う、くっ……」
「静かに、しろ」
わたしの頭を撫でながら、会長が熱い吐息まじりにそう囁いた。


「あ、っ、ん……」
くちゅ……
声が漏れたところで、会長はキスで塞いでくれる。
頬に彼の鼻腔を通る吐息が触れている。
感じすぎると逆に声が出なくなってしまって、徐々にわたしは黙りこんだ。
「……っ」
く、と息を殺す会長の喉の音が、聞こえてくる。


何度も火花が散って、達した。
汗まみれになって、じんじんと腫れていて、息苦しくて、
会長がとてもきれいで。


不意に涙が出てきた。
泣かないって思っていたのに。
悲痛の涙は我慢できても、感極まるとこぼれ落ちてしまう。
わたしの目頭に溜まった涙にキスしながら、会長は深く深く……じっくりと腰を運動させる。


「………っ」


びくっ、
会長の体が一度だけ、痙攣する。それを筋肉で抑えこんで、彼は目を伏せる。
その顔が大好きで、ぼんやり彼を見つめているわたしは、相当ばかな顔をしていたらしい。視線に気づいた彼が、見咎めるように目元に険を添える。


「…なんだ」
「いえ。かわいいな、って……」
「……」


ぴく、とこめかみを引き攣らせる。
いらっとしたらしく、仏頂面で会長は、腰の動きを早くした。


「!!っ、ん……!う、……!」
ギッ、ギッ、ギッ、
ベッドが軋む音よりも、大きな声が漏れてしまう。
「……」
会長はわたしの口を荒々しく塞いで、舌を捻じ込んでくる。
出し入れしながら舌を絡ませていると、それだけでぼうっとなって、体が痙攣して絶頂した。


──……」
ビクンッ、ビクンッ、
大きく腹部が弛緩して、起き上がれなく、なる。
もうだめ……。


くたりと力を失ったわたしの体を、会長は更に激しく攻め立ててくる。
そうしながらでも、わたしがくちびるを動かすと、すぐにキスで応えてくれることを知っている。


……会長は、キスしたあとのわたしが見たいって言っていたけれど。
わたしも、キスしたあとの会長の顔が、とても好き。
どこか繊細そうで、どこか隙があるみたいで、それでいて苦しげで、寂しそうで。
一番、かわいいな、と思う瞬間だった。


怒るから絶対、言わないけれど。