その通知を受け取った直後に、がちゃりと合鍵で扉を開けて真島さんがやって来たのは、ほんとに何かの関連性があったとしか思えなかった。
だってタイミングがよすぎる。それがわたしにとっていいことなのか、悪いことなのかはわからないけれど。
、アイス買うてきたで……っておまえどないしてん。」
例のジェラテリアの箱を提げた真島さんが、わたしの顔を見るなり大げさに驚いて見せる。パソコンの前にへたり込むわたしは、呆然としながら、無言で、茶封筒を彼に突き付けた。
「あ?なんやこれ……」
開封している中から、長い指が一枚のコピー用紙を引っ張り出す。かさりと音を立てて文字を読んだ彼の顔が、一瞬険しくなるのを見て、わたしは、その紙の内容が、わたしの見間違いでなかったことを知り、再度絶望の淵に立たされた。
「……ご縁がなかった言うてるな。あかんかったんやな」
「…………」
「まァ気にすんな、なんぼでも会社はある。」
「そこ、第一志望だったの」
そこに入るためにいまの学科専攻したの………と呟くわたしに、真島さんが、ほぉ、と軽い調子で相槌を打つ。
彼は、坐りこんでいるわたしの前にジェラテリアの箱を置いて、ベッドにどかっと坐った。
「最終選考まで残ったのに………」
「くよくよすんなや。あかんかったもんはあかんかったんや」
「もうやだ。あんなに頑張ったのに」


毎日のように就活して、何件も説明会はしごして、暑苦しいスーツで、来たこともない土地で迷子になって、勉強、面接、ディスカッション、周りの友だちはみんな内定とってリラックスしてて。
じめじめした空気、汗、ため息、満員電車、ださい就活用の髪型とスーツと靴、もうやだ。
笑いながら自分が可哀想だなーと思うと、あ……なんかほんとに惨めな気持になってきた。
それに、真島さんにはヴィヴィアンの女の子がいるし。
あの女の子の家では、一緒のベッドで、彼女を抱いて寝るのだろう。手料理も食べるし、髪を触ったり、触られたり、わたしにするみたいに説教するんじゃなくて、優しいことを言ったりするのだろう。
アイスクリームじゃなくて、ダイヤモンドとか、洋服とか、そういうのを手土産に持って。
わたしだって真島さんが好きなのに。


「なんも泣くことあらへんやろが。」
「泣いてないよ。」
「んならその目に溜まっとんのはなんやねん、ヨダレか。」
「目にゴミが入ったんですよ」
「こっち向けや
「そっち向いて内定取れるなら向く」
「ほんま、ガキやのぉ……」
うんざりしてるのか、呆れているのか、面倒くさいのか、よくわからない、弱った声が聞こえる。
真島さんが、俯くわたしの隣に坐りなおしたとき、涙がぽろっと膝に落ちた。
どうして、よりによっていま、真島さんがいるのだろう。いなかったら、わたし、絶対泣いてなかった。泣いてなんかなかったのに。
どうして真島さんの前では、心がいつも剥き出しになってしまうのだろう。
一番隠し通したい相手なのに。


「おぉーよしよし。ほんまちゃんは頑張ったなァー」
「……」
革手袋をした、武骨だけど薄い手が、わたしの背中をぽんぽんと叩く。
ちゃんはよぉー頑張ったで。なぁ。えらいえらい、大したもんやで」
甘い声を出す真島さんに、一体このひとどんな顔しているのだろう、と横目で顔を窺うと、なんとにやにやしていた。こともあろうに。
一粒こぼれてしまったら、涙がぼろぼろと出てきて驚かされる。普段滅多に涙なんか出さないものだから、蓄積されたストレスやまったくどうでもいいことのぶんまで、どんどん涙腺から溢れてくるようだ。
「そうだよ、わたし頑張ったよ。討論だって一番頭よさそうなこと言えたし。それなのに……わたしを採らないなんてなに考えてんだろうね!」
「そや!俺が社長やったら一発で採用したんのにな!そない先の見えん会社はお断りしたれ」
「お断りされたのはわたしなんだけどね。」
「急に真顔になんなアホ」


浅く息をついた真島さんの、わたしの背を叩いていた手が、わたしの頭に触れる。
その手が、頭の一番てっぺんを撫で始めた。びっくりして、真島さんの顔に顔を向ける。
そうしたら、顔と顔が、思ったより近くて。


「あん?」
怪訝な顔をされて、我に返った。
わたしがヴィヴィアンの女の子なら、絶対そのままキスしたくせに……。


「……慰めてくれてどうもありがと」
ぶっきらぼうに顔を背けるわたしは、ほんとに、まるで男の子みたいだ。真島さんがよくわたしのことを“ジャリ”だとか“小童”だとか言うように。
結局、わたしの希望なんて一つも叶わないのだ。そういう人生、そういう運、そういう人間なのだ、わたしなんか。このまま、わたしはどこかブラックな会社に入って、たぶん、真島さんのことを引きずったまま、いいのか悪いのかよくわからないひとと結婚して、真島さんと離れていってしまって、あと十年したらなにもかも忘れてしまっているに、違いない。
お先真っ暗なことを考えていたら、涙は止まったけれどますます気分が落ち込んでいく。
消えてしまいたいよ……。
「ほんとごめんね真島さん。もう大丈夫、寝にきたんでしょ?」
寝なよ、と言いながら、力の入らない手で彼の手、わたしの頭を撫でる手をやんわり退ける。
さっきはにやにやしていたのに、今度は不機嫌そうに顔をしかめた彼の顔が、顔を上げた先にあった。


「いや。やっぱ、きょうんとこは帰るわ」
「え?なんで?気にしないで、寝ていってよ。わたしももう大丈夫だし」
「大丈夫やなさそうやないか。俺はお邪魔みたいやから帰る。」
「なんで帰るの?」
「アホ、惚れた男呼びつけて慰めてもらってこい」


いま呼ばへんでいつ呼ぶんや、勢いで押し倒してみぃ、とか有り得ないことを言うので、唖然として、びっくりして、真島さんの顔をじろじろと見つめる。
何を言っているのか、よくわからなかった。だって惚れた男って目の前に……え?
「………。なんのこと?」
最近好いた男がいるそうやないかァ。隠さんでええんやで?東山も言うてたわ、ちゃん最近えらいキレイにならはってーてな。」
とりあえずダメ元でもええから連絡や、とか。
俺でもわかるわ、バレバレや、とか。
色気づく年頃になったんやなァ、とか。
おまえの兄貴には黙っとるから安心せェ、とか。
どないな男かチェックしたろ思ぉとったけど、きょうは目ェつぶっといたる、とか。
……………。


腹が立ちすぎて眩暈がしてくる。何を見当違いなことを言っているのだろう……信じられない。
「真島さんはねぇ………」
震える声で、顔がかーっと熱くなっていくのを感じながら、わたしは自分の足元のカーペットを見つめた。
「真島さんは、いいよね。だって、強いし、自由だし、かっこいいし、人望あるし、」
「?せやな。まあな。」
「それに、すてきな彼女もいるし」
「あぁ?彼女ォ?……」
「わたしみたいな馬鹿に出来る暇つぶしの相手もいるし。満ち足りてるよね。楽しいだろうね。」
「………」


一瞬ぽかんとしていた真島さんが、眉間にしわを寄せるのが見えた。
「おまえ心の病気ちゃうか?」
「違う!けど、そうかもね!!」
「ハァ。なんやねん。酔ってんのちゃうやろなァ?」
「もういい。わたし、ひとりになりたいの、帰ってくれる?」
「あぁ?……」
「帰って。二度と来ないで」
「なんやァけったくそ悪いガキやのォ。ほんならもう来んわボケ」
自分のうなじを撫でながら、真島さんが立ち上がる。わたしは、カーペットに俯いたまま、彼の脚が動くのを視界の端で見ていた。その影が、玄関に行き、一瞬で靴を履き扉を開けて、出て行って。
バタン。


………。
数秒してから、真島さんがほんとは出て行ってないんじゃないか、と期待して玄関を見たが、もう誰もいない。当たり前のことだ、いるわけがない、あんな暴言吐いといて。
わたしって最低だな……と思いながら、膝を抱えて、ようやくテーブルに置かれたジェラテリアの箱に気が付いた。
中を開けてみると、相変わらず、保冷材に守られたバニラとストロベリーのアイスクリームが入っている。触ってみると、溶けかけて、紙の容器がすこしふにゃふにゃしている。
慌てて冷凍庫に……と思ったけれども、そういえば、冷凍庫、いっぱいなままだった。
入らないや。


真島さん……どう思っただろう。ほんとにもう二度と来ないかもしれないな、と思う。
よく考えてみれば、真島さんみたいな傍若無人なひとが、いつも同じ代物だとはいえ、手土産を買ってくること自体大変なことなのではないか。
こんなに毎回忘れずきっちり持ってきてくれているとなると、いつも彼が眠気を感じて、わたしの部屋にくるとき、一緒にアイスクリームをセットで連想している、ということだ。
わたしが喜ぶと思って。わたしの大好物だと思って。
………それなのにわたし、もういらないのにと思ってた。
しかも、二度と来ないで、なんて、言ってしまった。
子どものときからなにかと面倒見てくれていたのに……。
さっきだって、わたしが落ち込んでるから、よかれと思ってあんなことを言ったのだ。
百パーセント、わたしを思いやっての行動だったに違いない。
それなのにわたし………、なんてことを言っちゃったのだろう。
追いかけて謝らなきゃ、でも、なんて言えばいいのだろう?
もういっそのこと、全部打ち明けてしまおうか?
そのことで真島さんに掛けてしまったストレスが軽減されるなら、わたしの恥ずかしさなんてどうでもいい。
好きだから、素直になれなくて、かっとなって、当たってしまいました。
ごめんなさいって。


………そうだ。後ろめたさも、気まずさも、これからのわたしと真島さんの関係性も、もうどうでもいい。真島さんが、わたしのせいでいやな気持にならないことのほうが大切だ。
追いかけていって、言ってしまおう。
全部、隠していたこと、全部。


急いで立ち上がろうとしたとき、ガチャ、と勢いよく扉が開いて、わたしは硬直した。


入ってきたのは、真島さんだった。彼は、顔を神経質そうに強張らせて、たいそう立腹した様子で、「オイ!」と言って、部屋に上がりこんでくる。
「真島さん……」
よろけながら立ち上がるわたしの顔を、真島さんがじっと見据える。
冷静に考えれば彼が戻ってきただけのことなのだが、あまりのことに思われて、まるで瞬間移動にでも遭遇した気分で、わたしは呆然としていた。


「ひとつ訊きたいことがある。いま、やっとわかったわ」
「え?え……なに?」
こめかみのあたりに力を入れて、顔をこわばらせた彼が、躊躇わず早口に言う。


、俺に惚れとんのやろ。」


「えっ!?う……うん。」


急いで肯くわたしに、真島さんが嫌そうな顔をした。