さっと中に入って、素早くパネルボタンを押して、エレベータに乗るまで、ものの十秒ほどだっただろう。
彼は、わたしから顔を背けていた。
「……」
こめかみと頬と耳しか見えない、むこうを向いている顔。この光景が信じがたくて、エレベータが上昇していく頭に響くような感覚だけがリアルで、軽く混乱している。わざと混乱しているのかもしれない。だって、事態を飲みこめば飲みこむほど、平常心とはかけ離れてしまうから。
ここは会社じゃない。港区でもない。一流ホテルでもないし、食事をしに来たわけでもない。
神室町のラブホテルなのだ。
(なんで、こんなことに)


チン、と音が鳴る。
通路に出て、番号のついたパネルの点灯している部屋のノブを、会長は捻った。
腕で扉を抑えながら、わたしの背中をやんわりと押す。
(…!)
あのときと一緒だ。
そっと触れただけなのに、背中に電流が走った気がする。


靴を脱いで中に入ると、白いベッド、白い木の鎧戸の下りた窓。液晶テレビと、テーブルと、リモコンが目に入る。案外ふつうのビジネスホテルみたいで拍子抜けした。
うっすらとたばこの匂いが残っている。


背後で扉を閉める音がした。
がちゃり、と会長が後ろ手で鍵を閉める光景に、なんだか見てはいけないものを見た気がした。
(どんな顔をしていればいいのか…)
恥ずかしがっているのもみっともないし…さあやるぞ!という顔も変だし。
まともな態度を、と意識すればするほど、赤面してしまう。


「……、お風呂わかしましょうか」
ベッドのそばに、会長が立っている。
その傍をすり抜けようとしたとき、肩を掴まれた。
「そんなものは後でいい」
「でも、先に──
「…わからないのか?」


恐々見上げると、会長はきれいな真顔をしていた。
低く、やわらかな声で

と呼ばれて、膝がぶる、と震えた。
「会長、あの……」


どき、と心臓が跳ねた。
見上げた顔が、とても近かったから。


奥歯を噛んでいて、頬に縦筋が入っている。
鼻腔を通る呼吸の熱っぽさで、彼が興奮していることがわかった。
「わたし、お風呂に入りた……」
言いかけている途中で、彼が目を伏せ、顔を近づけてきた。
あ。と思ったときにはもう、
薄いくちびるが、わたしの口を抑えこんでいた。


「………っ」
「………」
「………か、会長…」


触れたときは、絹みたいな感触がした。
くちびるが離れて、もう一度触れ、
何度もついばんでいるうちに、熱を持って、じわじわと水分を帯びてくる。
会長からは、彼の匂いがした……あの爽やかな香り。
それとともに、一日働いたあとの外気の匂いのようなものも薄く感じる。
「……!」


(舌が入った……)


「ん……!…っ!」
するりと入ってきた感触が舌にまつわりついてくる。
鼻で呼吸しているのに、彼から逃れようと口内で抵抗すればするほど、舌の根が喉につまるようで、苦しい。
大きく鼻から息を吐くと、会長の頬にあたって、自分の顔に風になって返ってきた。
(落ち着け、落ち着け……)
キスしながら窒息死なんて聞いたことない。
だが相手はあの会長なのだ。
いつも遠くから見ていたあの峯会長が、わたしに舌を入れて眉をひそめている。
(……落ち着け、落ち着けったら)
舌が入っていなくても、その事実だけで窒息死しそうだ。


途中であきらめて舌の動きをゆだねると、突然呼吸は楽になった。
「……」
(なんか……)
こんどは頭の中がぼーっとしてくる。
キスしているだけなのに、全身包まれているみたいだ。
他人の体温と匂いがして、それなのに舌は自分のそれと同じ一体感があって、どちらがどちらのものだかわからない。
(………気持いい…)
ふわふわする……。


好きな人とキスするのって、こんなに気持いいんだ……
なんて考えていると、下腹部にさらっとあたたかい感触が這い回ってきた。会長が、スカートの上から指で撫でまわしているのだ。
指先ですりすりと場所を探ったあとに、それがスカートをたくし上げてくる。えっ、と思ったときには、パンストと下着をめくり、くぼみを中指が捉えていた。


「……!!」
そんな、いきなり──
まだなんにも触っていないのに。
いきなりすぎて、ただ手が当たっただけなのだと思った。そう思いたかった。
まだ服も脱いでないのに。
だが下着の中に指を入れられていることが事実だった。


キスから顔を背け、抗議の意味で会長を見上げると、彼は無表情で指先の動きを眺めていた。
わたしの提出した資料のチェックをしているときのような、淡々と頭を遣っているような顔で。
しかも彼は、何一つ乱れがない。服を脱いでいないし、顔色に変化もない。
上質のスーツに身を包んだまま、指先だけでわたしに触れているのだ。


「……やめてください…!」
「……」
「会長…!」


逃げようと体をよじると、片腕が抱きかかえて上半身を封じられる。避けることも暴れることもできない。電気も消していないし、ベッドでもない、壁に寄りかかったまま、顔に微かに軽蔑のような冷たいものを浮かべている人に、下着の中を見られている。
その事実に頭がカッとなった。
唯一わたしを拘束している腕が、抱きしめているようで、それだけが嬉しかった。
そこだけが、これを恋愛の一環なのだと思わせてくれた。


自分でもどうなっているかわかるくらい興奮しているところを、武骨な中指でなぞられる。
ぎゅう、と込み上げる刺激に体が付いていかず、抑え込もうとした反動で、いたるところで汗がじわじわと滲み出た。体中がもはや、薄く濡れている気がする。顔が熱くて、心臓がドクンドクンと大きく鳴っている。
「わ、わたしこういうのは……ちゃんときれいにして、ベッドがい……」
「……」
「会長……!」


とろとろ、と会長の指を伝ったものが、内股に溢れてくる。
……指だけで、……こんな……。
にゅる、と中に押し入った指が、ある部分を刺激するたびに、腰の中で小さく爆発するようだった。
こんなふうになりたくないのに、どうしようもなく、気持よかった。
こんなふうになりたくないのに……達してしまう。
「会長……いや!」
「……」
「あ、あっ……あ!」


ぎゅうっ、
と腰がしないで、脚がびくびくっ、と震える。
中にある彼の指を、ぐう、ぐう、とより奥まで飲みこむように、粘膜が運動している。
視界が真っ白になって……
おぼろげに薄目を開けると、会長がわたしを見下ろしていた。


「………っ」


喉が小さく、ひっと鳴る。
わたし、なんでこんなことに……
恥ずかしすぎて、死んでしまいそう。顔を隠すために手で目を覆うと、額から滲んだ汗が指先を濡らした。


「……」
立っていられなくなって、ずるり、と壁づたいにしゃがみこむ。
会長が指を抜くと、そこからどっと熱い粘液が溢れてきた。
会長は、テーブルの上のティッシュを取って、中指を拭った。
そうして、わたしのまだ痙攣しているところを、無表情で眺めていた。


(………恥ずかしい……すぐに達しちゃったから引いてるのかな……)
明るいし。パンストと下着だけを、膝まで下ろされている妙な格好で、壁にもたれてへたれこんでいるのだ──なんという痴態だろう。


「……すみ…ません。わたしだけ、こんな……」
はあはあと荒く息継ぎしながら、やっとそれだけ言うと、
会長は屈んで、わたしの力ない足首を取り上げた。


「おまえ、だけでは、ない」
と彼は囁いた。
久しぶりに聞いた気がするその声に、皮膚の内側がぞくぞく、する。
「……俺もだ」


ぐいっと引っ張ったわたしの足を、彼のスラックスの下腹部にあてる。
パンストごしの足の裏に、上等な生地と、太くて、非常に硬い熱の感触が、あった。


「……!!」
咄嗟に足をひっこめたら、力が加えられておらず、簡単に避けることができた。
(いまの……って……!)


「んっ……」
素早いキスが、混乱してばかりの思考をさっと浚った。
目を閉じてくちびるを受け入れると、するっと舌が入ってくる。その舌に舌をあずけたら、いったん冷えたくちびるが、また燃えるように熱くなった。
ちゅ、ちゅっ、
と吸ったり、摩擦したりするくちびるの音の奥で、微かに
カチャ、
という金属音が聞こえる。
聞き流していたので、それが何の音かは考えなかった。
どうもわたしは、会長とキスしていると頭の中がお花畑になるみたいだ。



両脚を掲げ上げられたときは、死ぬほどびっくりした。
……いつのまにか会長が、避妊具もつけて、挿入の準備を済ませていたので。


(でっか……!!!)
……でかすぎませんかそれ……!!
そんなの絶対無理です……!!


「や!ちょっと待って…!!」
「いやなのか?」
「いやじゃないです!いやじゃないですけど、でも……待ってください!」
「もうだめだ、……入れる」


会長の無表情をみて、
やばい…本気だ、と思った。
わたしも会長も、局部だけ出して、スーツのまま、こんなことをしているなんて。


無理………
と思ったけれども、
先をにゅる、と宛がわれて、わたしが見ている間に、きゅうう……と中に入って来てしまう。
「あっ、あぁ……は、あ……」


内奥が、じんじん、腫れている。
そこに会長の、その、傘の部分がひっかかると、
……声も出ないくらい気持よかった。


「………っ!!」
ぎゅうううぅぅ、
と強く、自分のそこが、会長を締めつけていく。
会長の「くっ……」と震える喉元が、見えた。
こめかみがぴく、としている。奥歯をきつく噛んでいる。目頭のそばの鼻筋に皺をよせているその顔に、よけい、興奮した。


奥まで入れたあと、にゅう、と引いて、もう一度、奥まで入れる。それを二、三度繰り返せば、互いの全体に粘液が絡んで、とても滑りがよくなって……全部、入った。
会長の、スラックスの生地が、わたしのそこに重なって、根本がぴったりくっついている。
目を閉じれば、出し入れする、粘液の気泡を潰す音と混じって、会長の、トレーニング中のような、ざらざらした呼吸音が聞こえてくる。
それが、この状況をわたしに認識させた。


「……んっ」
入った状態で、突然脚と腰に腕を入れたと思ったら、そのままふわっと持ち上げられる。
急に宙に浮いたので、びっくりした。
抱き上げられているのだ。入っているのに。


「……え!」


物を持つみたいに、簡単に持ち上げられて、そのまま会長は立ち上がった。
全身の鍛えられた力強さに驚く間もなく、腰を持って、下から突き上げられる。


「あぁっ!や、あ、」
これは……だめ、
刺激が、強すぎる……!


奥の奥まで、一気に突き当たる感覚に、頭がおかしくなる。
「あぁ、いやっ……!!」
ずちゅっ、
ずちゅっ、


卑猥な音も、たまらなく恥ずかしくて、いやで、
なのに、どうして気持いいのだろう。


摩擦が起きるたびに、気が狂いそうになるのがこわくて、会長の首に両腕を回す。
汗を掻いて、微かに湿った首筋が、わたしの頬に触れながら、ぴく、ぴく、としている。
薄目を開けて会長を見たら、目を閉じる彼の横顔がある。
こんなに過激なことをしているのに、まるで、聖人みたいにきれいな顔だった。


突き上げられながら手が、わたしの後頭部を探っている。
髪をまとめているピンを探し当てると、指先で外されて、髪がぱさりと肩に落ちた。
自分のシャンプーの匂いがする。
すう、と会長は深くそれを吸い込んで、突き上げるスピードをやや上げた。


しがみついた会長の鈍色のジャケットに、わたしのファンデーションが付着する。
そのことになにか、罪悪感と、独占欲を感じてしまう。


不意に髪をかきあげられて、顔を上げると、会長がわたしの顔を覗きこんでいた。
なぜだかわからないけれど──その切なげな顔が、普通の男みたいに──思えた。
(そんなわけ、ないのに)
その顔、わたししか見たことがなければいいのに。
わたしだけの特別な顔だったら、いいのに……


信じられないことに、その体位のまま、わたしは二回ほど達してしまった。
そのたびに奥がぎゅうっと締まって、更に奥へ引っ張るので、会長はむしろ痛そうな顔をしていた。
はしたないし、簡単だし……こんなに乱れたくなかった。
もっときれいでロマンチックなのがいい。
けれどベッドに移動して、低く「……」と吐息交じりに囁き、キスしてくれたとき…。
たしかにロマンチックだと思った。
こんな場所で、服を着たまま、汗まみれでこんなふうにしていても。




(会長……)






「………っ」
会長はもう何度も、息をひそめている。
とてもつらそうに。こめかみに汗を滲ませて。
ぎしぎしとベッドが揺れている。
スーツのジャケットの中に手を入れて、会長はわたしの胸を触った。シャツの第二ボタンから第四ボタンまで開けて、ブラのカップの中に指を入れる。たぷたぷ揺れるそこに頭をかがめて、微かに、歯を立てた。


「……んっ」
わたしから声が出ると、会長の腰の動きが深く、ゆっくりしたものに変わった。
胸のところに顔があるのがなんだか愛しい気がして、彼のうなじに手を伸ばすと、髪がさらりと乱れて額に落ちてくる。
(か、かっこいい…………)


つう、と汗のひとしずくが、彼の高い鼻梁のシルエットを描く。
はあ、はあ、と熱い息が洩れて、それがわたしの胸や顔に落ちてくる。
会長の、いつもの香りと……汗の匂いと、彼の持つ肌の匂い……。
何を考えているのかわからない瞳が、不意に子どもみたいに見える気がした。
(わたし……このまま死んでしまうかも)
幸せすぎて……。


「あ、ん……っ」
……」
「……はっ、はい……」


「………好きだ」
「……っ、あ……」
──だめ、──その顔、
ぞくぞく、とする。


「わ……わたしも、……わたしも、です」


…大好きです、
心から。


あなたを、好きになってよかった。








……どくっ、どくっ、どくっ、
と中で激しく、緩急して、腰の動きも止まった。
彼の体が、わたしの上でびくっと一度震えて、
………しばらくして、静かになった。


「……」
はぁ、はぁ……と荒い息を落ち着けながら、目を閉じて、射精後の虚脱感に耐えている。
それから目を開けて、ぐったりしているわたしを見下ろした。
乱れた髪を神経質そうに一度撫でつけて。


もう一生分した気がする……。
放心しているわたしを置いて、大きくため息をついて、会長は体を起こした。
まだ勃起しているその、避妊具が、大きく溜まって膨らんでいる。
思わず「すごい量ですね」とはしたない言葉が口について出た。


会長はそれを外しながら、
「常飲しているサプリに亜鉛が含まれているからだろう」
と涼しい顔で言う。


「……」
見ればもう、彼の呼吸の乱れも引いている。
(……すごい体力だなぁ)
わたしだけがぐったりと屍のようになっているのだ。もう、身なりを整えるのも億劫なほど。
(わたしもトレーニング、通おうかなぁ……)


指で縛った赤い避妊具を捨てにいったあと、会長がこちらに戻ってくる。
ベッドで微動だにしないわたしを見下ろした彼は、非常に穏やかな顔をしているかに見えた。


。風呂に入れるか」
「……は、はい……」
「……」
「でもわたし、……すぐに立てなさそうです……」
「……」


ぎし、と手をついて、頭をかがめてキスしてくれた。
くちびるの触れるだけの優しいキス。
うっとりしてその顔が離れていくのを見ると、さっき彼が入っていたところがじんと呼応する。
(会長って、案外キスが好きなのかな……)
たくさんしてくれて、嬉しいな……


「………」

「もうすこしだけ……寝ていてもいいですか?」
「衣服が皺になる」
「いいんです、今更ですから」


会長はぱちりと腕時計を外して、スーツのジャケットを脱いだ。
黒いシャツも脱ぎ、その下のたくましい上半身があらわになる。
それに抱かれたのだと思うと恥ずかしくなった。
アルマーニのモデルみたいに、すごく、立派な体だな……。
先にお風呂に入るのかな、と思っていると、彼がベッドに腰を下ろし、わたしの上に覆いかぶさってくる。
またキスしてくれるのかと期待していたら……


「……!!」
くちゅ、
と、中指がスカートの奥に入ってくる。
「や…!会長、わたし、もうできません……!」
くにゅ…、


奥に入れた指を回転されて、びくっ、びくっ、と腰が大きく跳ねた。
「んっ、いや……!や……あっ!」


これも亜鉛の効果なのだろうか。
(ぜ、絶倫……!)


ふらふらする視界で見上げたら、会長が真顔でそこをいじっていて……
今夜は本当に一生分かも、
と思った。