新選組に美少年がいるらしい、という噂なら、壬生の茶屋に出入りするおなごなら皆知っているものだ。お団子を食べながら緋毛氈の縁台に腰かけ、道行く隊士を眺めて「あの人じゃない?」「えーおっさんじゃない?」なんて囃し立てることが乙女のたしなみであった。
新選組に入るというだけでも強いだろうに、その上武闘派の斬り込み隊と知られる一番隊、その隊長という役職なら、新選組一強いと称して間違いないのだろう。しかも美少年──きっと爽やかで優しい好男子で、でも剣を持ったら急に目つきが鋭くなる人なんじゃないかなあ……


きょうは茶屋でひとり、お茶をもらって縁台に坐っていた。壬生の街道は一日の農作業や稽古を終えた人たちがのろのろと疲れた様子で行きかっていて、その影を、藤色の明るい夕暮れがしょんぼり照らしている。

ふと、冷たい空気が顔を撫でた。
このあたたかな春の盛りに──ふしぎに思い顔を上げたら、街道にはちょうど誰も彼もが姿を消している瞬間だった。
四条方面から、ひとり、背の高い男が歩いてくる。異質な威圧感を纏うその男を、わたしは新選組の人か、と思った。そしてつぎに、いや、違う、と思った。だって、羽織が新選組のものではなかったから。……けれどやっぱり、新選組だ、と思った。汚い、藍色に見えたその羽織は、汚れてはいるものの元は浅葱色をしていたのだと判別ついた。
ひっ……と息を呑んだのが、なにに対してなのかわからない。薄汚い羽織なのか、鍔をあてた隻眼なのか、それとももっと、抽象的なもの……雰囲気や殺気というものなのか……。

ともあれわたしが反応を示してしまったことに、彼はちらと片方しかない右目で一瞥した。

「なぁに見とんねん」
声というよりも喉を鳴らす音のように響いた。
歯を見せながら威嚇し、ふんと鼻を鳴らして通りすぎていく。


「……!!」
えーっ。
なにあれ……!!
きたないしこわい……。
壬生狼という名を一身に担っているような人だ、と思いながらその背を見送ると、“誠”の字の上に“一”と数字が描かれていることに気づいた。
(………。)
一番隊の人か。背にあの紋があるのは、隊長だけだったはず。
ということは、あの人、一番隊隊長なんだ。
それじゃ、あの人が噂の。
………。


!?


「あっ、あのー!?」
思わず声を掛けてしまったのは、我を忘れてとしか言いようがなかった。物騒な背中が、ぴたりと立ち止まったとき、“しまった”と強く思ったが、もう引くことは許されない。
「ああ?」
白い顔が、ぎろりと振り返る。わたしは、すこし離れた地点に立っていたが、近寄る気にはとてもなれなかった。だから、声を張り上げるようにして言った。
「あなたは、沖田総司さんですか!?」
「……」
白い顔は、呆気にとられたように一瞬力をなくしたが、すぐに赤いくちびるの端をクッと吊り上げて、野獣のように笑った。そしてすたすたとこちらに歩いてきた。来なくていいのに。
「なんやクソガキ。デカい声出すなや近所迷惑やろォ?」
「すみません……。」
「んで、なんやて?」
じゃり、とわたしの前で立ち止まったその姿は、大きくて、白い肌と黒髪の明暗がくっきりしていて、汚い羽織を素肌にまとっていて、野盗をすこしマトモにしただけのようなものだ。彼が立ち止ったとき、ふわっと涼しい風が吹いた。見上げると恐ろしい顔が、仏頂面でわたしを見下ろしていた。
「あの……。」
「あ?」
「それ、血ですか?」
羽織を指さすまでもなく、不自然なほどに赤茶けたそれ……。
震えながら言うと、彼は右目をにったりと半弧に歪めた。
「せや!もちろん返り血やで。キレーに染めて真っ赤な一番隊隊長様限定仕様にしたろ思てなぁ」
ひぃ……。
「……あの……」
「なんや」
「あなたが──沖田総司さんですか……?」

一瞬真顔になったあと、彼は、肩を揺らして顔を背けた。
……?
訝しく思ったとき、彼はゆっくりこちらを見下ろした。その顔は、微笑を浮かべていた。
「そうやが」
「えーっ!!」
「なんや!この美少年になんか用かいな」

うそだー!!
「美少年じゃない!!」
と思ったことを必死に抑え込もうとしたけれど、つい、口からすでに出てしまったあとだった。
思ったことをすぐ言ってしまう癖を改めようと思った。
でも、もうなにもかもが遅すぎたかもしれない。

彼はわたしを無表情で見下ろしている。
切れ長の瞳が恐ろしいほど澄んでいて……たぶん彼に斬られた人は皆こんな目で見下ろされてきたのだろうと容易に想像できた。
「ええ度胸やないか」
ひっ。

「おまえ目おかしいのとちゃうか?こないな美形おらんで」
「すみません。失言でした」
「いまごろ謝っても遅いわボケ!」
と言って彼が刀に手を掛け、鯉口を切った。
終わった……と思った。
「黙って大人しいしとけ」


もうだめ、
殺されちゃう。
短い命だったな……。


と思ったのも束の間。かちゃりと刀を納める音がした。
そっと目を開けた。
「春蚊や。長生きなやっちゃな。ワシの目に留まったが最期やけどな」
「は……?」
彼は、わしっとわたしの肩に拳をあてる。その拳をひらいたら、中にまっぷたつになった蚊が姿を見せた。
「蚊や」
「蚊ですね……。」
「おまえの耳についとったんや。吸われるまえで、よかったのお」
「えっ。耳!?」
急いで耳を触るけれど、なんともない。
傷ひとつない。
「ひ、人の耳に停まった蚊に刀振ったんですか……?」
「おう」
「……。」
ゾーッ。
だが、風ひとつなかった。ほんとにすごい刀の使い手なんだ。
さすが一番隊隊長……。


ひとまず殺されはしなかった。ほっとすると同時に、へなへなと崩れ落ちるように坐りこんだ。腕の関節がわずかに震えている。斬られなくてよかった……。
彼はへっと口元を捻じ曲げてみせた。
「なんや根性なしか。威勢のええやつや思たら」
「すごく恐かったです……。」
死ぬかと思った……。
「漏らしてへんやろうなあ、ガキ」
「……大丈夫です」
危なかったけど……。


「これに懲りたら二度と俺らを呼びとめたりすんな」
と彼はスンと尖った鼻先を小さく鳴らした。
「はい」
「こないに気のええやつばっかとは限らんねやからな」
「はい」
「わぁったらとっとと帰らんかい」
「はい……」


ぐっと立ち上がろうと腕を地面に立てたけれど、なんだか腰に力が入らない。脚が長く正坐していて痺れたように感覚がない。
「はよ立てや。んーなとこ坐っとったら人様のご迷惑になるやろが」
「なんか、立てないんですけど……」
「なんや、腰抜かしたんか?」
「はい……。」
「………」
……。
ちらっと彼を見上げるけれど、彼は目が合うと素早く顔を背けた。
いつもいる駕籠かきも、こんなときに限っていない。というか、この人が出現してから、この通りに誰もいない。この人はそういう力を持っている人なんだ、と彼を見つめて思った。地獄からの使者って感じがするもの。
でもそんなのはひとまず関係ない。ひとつずつ問題を解決しなければならない。さしあたってわたしは誰かに救いを求めなければならなかった。


「送って行ってください」
「あ?」
「送って行ってください」
「……」
ウンザリした顔で、彼はうなじに手を当てる。その反応をするということは、わたしにそれが必要なこともとっくに気づいていたのだろう。面倒くさいので、切り出されるまで知らんぷりしているつもりだったのだ。
「おまえやっぱごっつい根性しとるかもしれんのぉ」
ったく、
しゃあないなぁ……
そう言いながら彼がわたしの帯を掴んだので、そのまま引きずられる予感がして、振り解いた。


「なんやねん」
「すみません。でも、どうやって抱えるつもりなんですか……?」
「ん?こないして、こう……」
「そんな寿司の折詰みたいにぶら下げないでくださいよ……」
「ほんなら、こう肩に載せるんはどや?」
「……それもちょっと。米俵じゃあるまいし。こう、そっと横に抱いていただけるとありがたいんですが」
「調子のんなやガキ。百億万年早いっちゅうねん」
「……」
「ハアーわがままやのう!ほな……おぶったるわ」
「……」


血飛沫に変色した背を向けられる。
おぶられたら汚れそうだなあと思いつつも、触れてみるとパリパリ、ではなくて、ふつうの綿の感触がした。一応洗っているらしいことに安心して、背中越しに彼の肩に腕を回したら、彼は立ち上がって、わたしの宙ぶらりんになった脚を抱え込んだ。
「家どっちや」
「えっと……突き当たって将軍かかしのある畑の、一軒家の裏です」
「チッ、遠いとこやないけェ」
「でも、お願いします」


びゅう、と風が吹いて、砂塵が飛んできて目を閉じる。そうして髪が靡くのがやみ、目を開けた。
この狂犬、悪鬼のような人の肩に頭をあずけて、そこから見た景色。
高い。
すごく高い。
「わあ……」
「なんや」
「いえ。すごく景色が高く見えるなって」
「おお〜そうか?そうやろなあ」
「なにもかも違って見えるんですね」
「おう。見下ろしとったらなあ、相手の動きもわかるし、急所も丸見えで都合もええで」
「……」
なんだか物騒なことを言っているけれど。聞かなかったふりをしよう。
風光明媚とは言いがたい畑や掘立小屋ばかりの村だと思って育ったけれど、枝垂桜の重そうな花を上から見下ろすのは初めてだ。あの山桜は、上から蕾をつけている。あの家に繋がれた、いつもやかましい犬は、吠えることもせず縮こまっている。細い川の澄みきった水に、魚影がすっと渡ったのが見えた。風がこんなにやわらかい。それに太陽の光が、なにかに阻まれることもない。この人の首筋、ひんやり、すべすべしている。
あたたかいのと冷たいのに挟まれて、
気持いいなぁ……


「おまえほんま恐いもん知らずやのう」
わたしの頬の下の首筋が動いて、わたしの眉の上から声が聞こえてくる。
恐いもん知らずなんてとんでもない、腰まで抜かしたんだから。
(でも、悪い人とは思えないもの)
……これが恐いもの知らずということ?


陶製のように薄くて硬そうな耳のむこうに、細い皺を寄せた鋭い瞳がある。黒く艶やかな長い睫毛と、高くてむこう側が見えない鼻筋。赤いくちびる……と、山賊の頭領みたいな髭。
容貌よりも、それを覆う服飾品と雰囲気が恐ろしすぎて、気づかなかったけれど、びっくりするくらい端正な顔立ちをしている。
あやういところがきれい。
……美形では、ある。かも。


「うわさ話ってあてにならないですね」
「あ?……まぁたその話しとるんか」
「実物の沖田さん見たら、壬生のむすめ、みんな気絶しますよ」
「そこの肥溜め落としたろか?」
「でもそれは、ぱっと見の話です」


恐いはずの横顔を見ていたら、胸の深くで
きゅん、
と締めつけるような痛みに目を細めた。
(きゅん?)
これじゃあまるで──あれみたい。


「……沖田さん、よく見たら美少年ですよ」
沖田さんは、とてもいやそうに背後のわたしを一瞥した。

「……おまえ。頭おかしいわ」
きゅん、と走る胸の痛み。
うーん、たしかに、わたしちょっと変なのかも。