わたしには、昔から超能力が使えるという魔法使いですら「ありえない」と首を傾げられる特徴がある。自分が魔女であること、きちんとホグワーツから入学許可書が届いた晩、わたしは子どものころから疑問だった自分の超能力に、ようやく「これは魔女だからなのね」と説明がつくと喜んだものだったが、魔法学校でも自分は異端なのだと知らされたのである。 まわりの子どもたちは、誰しもが「超能力って……頭おかしいんじゃないの」と、まるで魔法使いを初めて目の当たりにしたマグルのような反応をするだけで、誰も取り合ってくれなかった。 このわたしに、そのような奇妙な能力があることは、まるで無意味なことである。この能力は、とてもではないけれども世間での役に立てる代物じゃあないし、もし隣人がこの能力を持っていると知ったら、わたしは慌ててその人との付き合いを絶つと思う。人権もへったくれもあったもんじゃない。 ただ、たぶんこの能力を持てば、私利私欲のために使う人がきっといるだろうから── 使っちゃったら他人様のご迷惑になるし、封印していようと決意しているわたしがこの超能力の持ち主でよかったと思うことがある。 使わないわたしが持っているので無意味なのだけれど、でも、利己のために分別なく使用する人が、この能力を持っていなくてよかった。というか、自分が利己的な人間でなくてよかった。 もしわたしが利己的な人間だったら、きっと世間はしっちゃかめっちゃかになっちまうに決まっているもの。 そんなわけのわからない自負心があったんだけど。 どうしよう……おちこんでしまいそう……。 耳の辺りから肩にかけて、微かに鳥肌が浮いてくる。原因を思い出しても、ため息をつくことしかできず、なんともいえず気まずく、居心地が悪い。パンジーはわたしのとなりで、わたしの鳥肌の原因に気付いてにやにやとしているが、やがてすぐに不機嫌になることだろう。 今日は雨で、お昼休みにしようと言っていたクリディッチは取りやめとなった。そんなわけで、いまはチェスに興じている。この談話室は地下にあるが、それでも雨の匂いがじゅうたんの下、シャンデリアの影、暖炉の煙突──いたるところから湿っぽく漂ってくる。それから、地上をたたく雨粒が、地下に脈々と染みこんでくる、文字にはしがたい音………。どんな人間をも落ち着かせる、母胎を彷彿させるような風情があるから、おそらくスリザリン生で雨がきらいな人間はいないだろう。 雨の日は、みんなが談話室に集まって、ため息をこぼし、お菓子をつまみながら、チェスやカードゲームを楽しむのが、スリザリンの慣わしなのだ。 「」 びく、とした。その声のほうに振り向くのが。わたしは、ちょっとためらって、「なに……?」と露骨におびえた顔を向ける。それが精一杯だし、わたしが拒否していることを示すのが、この場合はもっとも適切であるように思われた。 視線の先では、マルフォイがふん、と笑いながらわたしを見下ろしている。それから、当然のようにわたしの隣の坐いすに腰を下ろした。 「いけないか?用もなく話しかけては」 「いけなくないけど、いま忙しいの。わかるでしょ」 マルフォイは、チェス盤を覗きこんで、わたしがどう見ても劣勢であるさまをしみじみと眺める。 「たしかにお忙しそうなことだな。なんでこんなに下手くそなんだ?ぜひ答えていただきたいところなんだが。純粋に不思議だ」 「うるっさい。黙ってて!」 「おお、こわいこわい」 チェスに集中しようとして、駒を手の中でひっくり返したとき。 ぞくぞくと、横顔に寒気がした。…………また………。 マルフォイはわたしのことが好きだ。この悪寒の原因はマルフォイにある。 この、「ぞわっ」とした感じは、妙な具合にいつも襲い掛かってくる。体の内側が、ぴりぴりとしてくるような感じ。 しゃべっているときは以前と同じようなからかい半分なのに、黙り込んだとき、すこしの間に、彼はそっとわたしのことを見詰めてくる。優しそうに、さりげなく…。 もしわたしが彼の気持ちに気付いていなければ、一生気付かなかったであろうほどに、ささやかな眼差しだった。 ああ、早く、どうか一日も早く、効果が切れてしまいますように…………。 マルフォイに挑発されて「じゃあ、わたしのとりこにしてやる!」 と超能力を行使してしまった、おとついのことを、わたしは悔いて止まない。 「おまえ、そんなだったらいつまでたってもおまえのことを好きだと思う男は現れないだろうよ」とか、「おっそろしいじゃじゃ馬だな!」とか、「ついにオールド・ミスが卒業生から誕生するのか……スリザリンの恥だ」とか、いつもいつも、いいたい放題されて根に持たないわたしではなかった。わたしは執念深いたちなのである。しかもマルフォイは、どうもわたしを「ノー天気のあほ、悩み事のない楽天家」とでも思っているようだったが、実際はその逆で、一年生のときに何を言われたかとか、とにかく思い出すたびに腹を立てていた。 だからマルフォイもまったく悪くないわけじゃない。 ただ、多少の落ち度があってもやはりマルフォイは被害者で、多少の情状があっても、どう考えてもわたしは加害者だ。ごめんなさい。反省しています。 それに、こんな「相手の感情を操る」能力があっても、マルフォイがわたしの仕業でわたしに惚れさせられたという認識がなければ、決して報復にはならないではないか。ちょっと恐がらせるだけのつもりだったのに、これじゃわたしが怯えてなきゃならない。お願いだから、そんな「愛しています」なんて考えていそうな、熱っぽい視線はやめて……。 しかも効果が切れる来週あたりまでずっとこの調子でやり過ごさねばならないのだ。 * 「」 「ん?」 「最近、あんたようすが変よね。なにそんなにびくびくしているの?」 マンドラゴラの根の皮を剥きながら、内心どきっとしたことを押し隠して、わたしはそっけなく「なにが?」とごまかすことにした。もちろん、そんなごまかしなど一時も通用しないのはわかっているが。 「なにが“なにが?”よ。隠しても無駄よ、もしかしてマルフォイと付き合ってるの?」 「はあっ!?」 なんて恐ろしいことを言い出すんだろう!!慌てて抗議しようと顔を上げたとき、パンジーでなく、こちらを難しい顔で睨んでいるスネイプ教授と目が合った。 「ミス、授業中に奇声をあげるでない。スリザリンは5点減点とする」 「………。ごめんなさい………」 最悪…。すっかりしょげてしまったわたしを、パンジーは上機嫌で眺めつつ、まるで林檎でも剥くかのように鮮やかな手つきでマンドラゴラを剥きはじめた。 「まあ付き合ってるってのは飛躍しすぎよね。じゃ、マルフォイに惚れたの?」 「それも飛躍しすぎだよ……。」 「マルフォイがあんたなんかに惚れるわけがないし、でもふたりの間にはなんとも言えない空気が流れているわ。いったいなにかしら?」 「憎しみの空気じゃないの」 「ううん、なんだろう、もっと──噎せかえるような、息を止めなきゃならない、感じ」 あ………わかる。そうそう、噎せかえる、息をするのも恥ずかしいような、そんな感じ。 そうなのだ。マルフォイの視線、しぐさ、決して体の一部分も触れ合わないように緊張している感じ…が、わたしをびくびくさせる。こわいな、とも思う。一途な視線が、ときおり薄い桃色に染まるほほが、なにか言いたげなくちびるが、わたしはこわい。マルフォイはきれいだし、だからといってわたしが好きになるわけないけど、ときどき惹きこまれそうになるときがある。 それがわたしはこわい。その空気、息を止めなきゃならない、噎せかえるような張りつめた感じに、呑みこまれてしまいそうだから。 どうも腑に落ちない!と主張するパンジーをなんとか宥めたが、どうも失敗した気がする。 授業を終わらせたスリザリン生は、グリフィンドール生と睨みあったりしながら、列を成して談話室への道のりを歩きはじめる。 そうやってわたしも、グリーンとシルバーのタイカラーを締めた集団の一部となりながら石畳を歩いていると、ああ、なんて幸せなのかしらと思うことがある。舌を出してしゃべっていたり、笑ったり、愚痴を言ったりする仲間が、この場には大勢いるのだ。スリザリンカラーを締めた人間は、みんな仲間で、気安く話しかけることができるのだ。なんでもないことなのには相違ないが、学校は楽しいなあとのんびり実感することができる。 「。おまえなに減点されてるんだこの馬鹿」 うしろからこの声が聞こえてくるまでは。 「どうもすみませんでしたねー。でも、わたしこのあいだ10点もスリザリンに貢献したんだからいいじゃん。5点はプラスなんだから」 「そういう問題じゃない」 とマルフォイは言いながら、呆れたように肩をすくめる。 「得点して然るべきなんだ。減点されることがよっぽど恥さらしなことだと自覚したほうがいい。しかも、おまえの稼いだ点数はスリザリン全体のものだが、おまえが引かれた点数もまた、スリザリン全体に影響されて来る。誰かが必死にがんばって集めた点数をないがしろにするな」 「悪かったとは思ってるし、もうしないよ。でも、あんたに言われる筋合いは更々ないことよ」 「ああ言えばこう言うってやつだな、。ぼくが減点されたときにきみに責める権利があるように、ぼくも同級生としての権限をつかっているだけだよ。で、なに抱えこんでるんだ?」 マルフォイは、わたしがスネイプ教授に頼んで貸し出しさせてもらった、魔法薬学の書物の数冊を覗きこむ。それから、目を細めてわたしを見た。 「ふうん、勉強熱心に生まれ変わろうって心算かい?それはいい心がけだ。ぼくも教授に、ずいぶん前その本を借りて読んだが、たぶんおまえのおつむには難解だろうと思うんだが」 「うるさいうるさい。わたしだって薬学がきらいじゃないんだもの。得意になりたいんだもの」 「なあに、気にするな。ぼくが教えてやる。わからないことがあったらいつでも──」 マルフォイはそういった後、不意にはっとして、くちびるを噤み、極まり悪そうに──ほほをうっすら染めた。 そして取り繕うように、ちょっと焦った感じで言った。 「訊けばいい。まるまる全部教えてくれ、といわれたら困るが、スリザリンの得点の可能性があるなら………手助けしてやる」 「…………あ………そ。それはどうも……」 「………」 「………」 な………なによ。なんで黙るの?気まずい………。 わたしとマルフォイのまわりには、多くの生徒たちが、好き好きにおしゃべりを交わしている。みんなが自分と友人との間に持つ世界に夢中になっており、あたりを伺っているものは、おそらくわたしひとりだけであった。 ざわめきのなかでマルフォイが、なにか言いよどみ、それからくちびるを開いたのが、わたしにはなんとなくわかった。 わたしの体のすべてが敏感になっており、マルフォイのちょっとしたしぐさや表情にいち早く気付いてしまった、という具合に……。 「…………」 あれ…… どうしてわたし、マルフォイと一緒に帰ってるんだろう?避けてるつもりだったのに、すっかり忘れてしまっていた。ついいつものように、憎まれ口を叩きあいながらおしゃべりしていた、それはそれで幸福だった日々のように。 だって、ふたりでいるのはなんだかこわいと、自分でもわかっていたではないか。もしマルフォイが思い余って、告白などしてきたらどうすればいい?マルフォイは、わたしの超能力のせいで一時的に感情を操られているに過ぎないのに。 「好きだ。好きなんだ」 きみが、と遠慮がちに、小さな声でつぶやいた、彼の掠れた声が、耳の奥に刻み込まれる。 それは今まで聞いた、たくさんのマルフォイのどの声よりも、軽い、わたしを思いやるような響きがあり、同時にわたしの心に深く爪を立てるようでもあった。 ぎこちなく見上げたマルフォイの横顔は、青褪めて、とても愛をささやく男性の面差しとは違っている。まるで、人を殺してきたんだ、とでも懺悔しているほうが似合いの苦渋が、眉間の辺りに差している。 あら──マルフォイの瞳は、こんなに青かったんだ。わたしはてっきり、灰色の瞳をしているのかと思っていた。 色素の薄い肌は、丁寧に磨かれた彫刻の陰影を刻んでいる。まつげ、美しい女性のようなほっそりした鼻梁や、やや薄い、品のある引き結ばれたくちびるの陰影を。 それに、月明かりのような、淡い色合いのブロンドは、なんとなめらかな光をたたえていることだろう。 「…………ご………ごめんなさい」 わたしはマルフォイの知的な美しさにぽうっとなりながら、けれど冷静な頭のほうをぎしぎし動かして、あえぐように言った。 「付き合うとか、そういうことはできない。友だちのままでいいじゃない。だめ?」 「………なんてことを言うんだ。友だちのままなんて、いられるわけがないじゃないか」 「どうして?だってマルフォイは──」 「ぼくはきみが好きなんだ」 わたしはうつむいて、込みあげる涙を必死にこらえなければならなかった。マルフォイも黙って、わたしの隣を歩いている。お互いが深く落ち込んでいるが、この狂おしさは、わたしのほうが本物だ。マルフォイは、そのうちいつか効き目が切れて、すっきりとしてしまって、忘れてしまうのに。 どうしてあのとき、あんなことをしてしまったのだろう?呪われた二日前………あんな子どもじみたことに憤慨して、なんて愚かなことをしてしまったのだろう。 もしもマルフォイが、わたしのことを本当に好きで…超能力の効果もなくわたしを好きで、だったら、わたしはなんて返事をしていたのだろう。 でこぼこした石畳を歩いていると、こらえきれなかった涙の一粒が、ぽとりと襟に落下する。こんなことで彼との縁が途絶えてしまうのは、ホグワーツ入学以来、最高の不幸だと思う。もう少し素直だったら、ほんとの友だちみたいに親しくできたんだろうなあ。チェスが下手な原因を一緒に考えてくれたり、減点されたときわたしが素直に謝ったり、許してくれたりしたんだろうなあ。 「悲しいのか、」 「……………」 「ぼくも悲しいよ。変なことを言って………すまなかった」 「ちがうの」 ちがうの。 そうつぶやくこと、嗚咽を押し殺すことが、いまわたしにできることのすべて。 マルフォイは無表情でわたしを見ていたが、もうなにも、言わなかった。瞳にも、なんの意思もこめられていなかった。あの意地の悪い笑みも、二度と見られなくなるのでは……と予感させるほど、彼の顔は、大理石でできたつやつやした彫刻のように無表情だった……。 「マルフォイ、話が………」 わななくくちびるの隙間から、やっとわたしは訴えることができた。彼は男子寮に通じる階段の手すりに手を置いて、そのまま下りていってしまいそうだったが、すこし逡巡してこちらに振り向いた。顔を見た瞬間、頭の中にあふれていた言葉の数々が、すうと潮が引いていくように、記憶のかなたに消え去ってしまう。 だが、いまいわなければ、もうわたしと彼は、二度と話すことも、顔を合わせることも、なくなってしまう。彼の気持ちも、この瞬間の後は消えてしまう。わたしはそんなのはいや。 「話って、なにを話すっていうんだ、これ以上」 「だって、誤解したままだもの」 「ぼくは………、おまえは、鈍いし馬鹿だが、人の気持ちがわからないやつではないだろ?頼むから、そっとしておいてくれ。僕はいま、失恋したところなんだぞ」 「マルフォイは失恋してないよ。マルフォイだって、わからずやで、人の話きかないし最低じゃん。でもわたしはどうしてもいわなきゃだめなの。このままじゃ、もう絶交したみたくなるでしょ?」 わたしはほとんど泣きながら、震えて、怯えきった塊をのどの奥に残したまま言う。ものすごく聞き取りにくい声なのは、発している本人でもわかるのに、マルフォイには一応伝わっているようだ。 「は?なんだおまえ………なんなんだよ。なにがいいたいんだ」 「マルフォイは、わたしのこと好きじゃないの。いまは好きだと錯覚してるだけなの」 「よくもそんなろくでもないことを。ぼくがきみを愛してるかどうかは、ぼくが決めることだ。きみじゃない」 「わかるの、わたし、超能力者だから」 「ふざけ………」 「ふざけてない!!」 えぐえぐ泣いているわたしの顔は、100年の恋でさえ「うわ…なんて不細工な」と冷め切ってしまうようなひどい有様だろう。顔中、耳まで熱くて、ひざががくがくしている。まともなところを探せといわれても、たぶん無理なくらい、体中がヒートアップしている。冷静に話をしなくちゃならないのに、どうしてこうなるのだろう。 わたしの必死なようすにドン引きしてるのか、困惑しているのか、とにかくますます顔色を悪くさせながら、マルフォイはポケットからシルクのハンカチを取り出して、わたしの顔にそれを押し付ける。それを力の入らない手で受け取って、ひっくひっくと言いながら涙と鼻水をぬぐった。ハンカチからは、上品な、うっすらとしたいい香りが伝わってくる。 「大丈夫か?なんてひどい顔をしているんだ」 「うう、うるさい、うう」 「…………。」 通りすぎるスリザリン生みんなが振り返って、わたしのことを興味深そうに眺めてゆく。いたたまれないが、涙が止まらないのだ。それにしても涙はこんなに熱くてしょっぱいものだったのかと、わたしはぼんやりと思った。伝ってゆくほほが、まるで焼けそうに熱い。 「超能力で、マルフォイがわたしを好きになるようにしたの」 「……へえ……」 「信じてないと思うけど、ほんとうのことなの、ごめんなさい」 「………………まだ泣き止まないのか?」 「………………ごめんね。ごめんなさい。ほんとうにごめんね」 「わかった、わかったから」 「わかってないよ。わたしのこと好きなら信じてよ」 「言ってること矛盾してるぞ」 わたしの肩をつかむマルフォイの手に力がこもる。彼の右手、繊細な指先が、ためらいながら、そっとわたしのほほに触れ……あふれた涙を優しく掬う。わたしはびっくりした。わたしに触れる彼の指先が、ひどくやさしくて、慈しむようだったから。きっと慰めかたも乱暴で、いつもそうだから、不器用で、そんなだと思っていたから。やさしいマルフォイなんて不意打ちすぎる。 「かわいそうに。なにがそんなにつらいんだ?」 「…………やめてよ気持ち悪い、やさしいマルフォイなんて悪夢みたい」 「殺すぞ。」 「マルフォイは、ねえ、近いうちわたしのことを好きじゃなくなるんだよね。だから、つきあうとか、そういうのはだめなの」 「ふうん?」 「たぶん来週あたりには効き目もなくなってると思う。わたしの特殊能力で……相手を意のままに操ることができるんです」 「へえ、すごいんだな?」 「そう。すごい、おそろしいことだよね。ごめんなさいね。かっとなってやったけど、ずっと引っかかってて、どうしようかなあってずっと悩んでたんだよね。悪意はあったけど、こんなことになるなんて思ってなかったの、わかってね」 「うん、そうか。で、罪の意識があるからそんなに号泣してるのか?」 「うん」 「べつに、ぼくのことが嫌いだから付き合えないってわけではないんだな」 「うん」 「じゃあ訊くが、すこしはぼくのことを愛しているかい?」 わたしは返事をしようとしたが、また嗚咽が込みあげてきたので、ふたたび醜い顔でえぐえぐとしなければならなかった。マルフォイはうんざりした面持ちで、ハンカチで顔をぬぐってくれる。 「ごめん、ハンカチ、高そうなのに」 「もういらないからおまえが捨ててくれ。こんな鼻水だらけのばっちい代物、雑巾にもならない」 「ひどすぎる………」 ハンカチで最後の一滴をぬぐうと、わたしはマルフォイの顔を見上げた。いつもの、ちょっと皮肉るような、嘲笑のようなものを口元に浮かべている。彼のこの表情は、普段は腹が立って仕方がなかったけれど、いまはなんだかいとおしかった。もう少しで、二度と見ることができなくなるところだったのだ。 「うん」 「ん?なんだって」 「うんっていったの」 「…………」 「すこしは愛してる」 ほんとにすこしだけだけど。 マルフォイに見詰められてるからって、ご飯を食べてるときは気をつけたし、身だしなみにもいつもより時間をかけた。魔法薬学も、もう呆れられたくなくて、教授にお願いして文献まで借りて。 あのとき、わたしは自分にも超能力を使ってしまったのかもしれない。たしかに二日前以前は、ちっとも好意なんて抱いていなかったのだから。 本当は、彼に惹きこまれることじゃなくて、超能力が解けた後、彼に去られていくのがこわかったのだ──たぶん……。多少は。 「じゃあ、こうしよう」 わたしの手をとって、男子寮に通じる階段を下りながら、マルフォイはつぶやいた。ちょっと照れくさそうに、ほほを赤く染めて、それを隠すためにわざと顔を気むずかしそうに険しくさせて。 「もし、ほんとうにきみの超能力の成せる業なら──」 「本当だってば。まだ信じてないの?」 「信じられるか馬鹿。まだおまえを病院に連れ込もうか迷っているところなんだぞ。まあ、とにかく聞けよ。それで……来週には効果も切れるとかいってたな?」 「うん、長くてもそのころにはね」 どうして手をつないでいるんだろう。知らない間に、魔法薬学の本も、いまはマルフォイの小脇に抱えられている。不思議に思いながらどんどん通路を歩いていると、マルフォイは続けて言う。わたしの握った手の甲を愛撫しながら。 「そうなったら、またぼくに掛けてくれ」 「え、なに?」 「超能力。それでいいだろ?」 「……………マルフォイ………」 嬉しいとか驚いたとかよりも、わたしは“馬鹿じゃないの?”と思ってしまった。こんな自分に嫌気が差す。今度こそ、素直に、素直にと考えていたのに………。 「全然よくない気がするけど……。どうなっても知らないよ。」 「ふん。超能力なんかあるもんか、馬鹿め。できるもんならやってみろ。だいたい、おまえ、のこのこと付いて来てるが異存はないのか?いま、ぼくの部屋に連行しているところなんだが」 「え?な…………なにするの!?へ、へんなことしないでよ!?」 「…………な………なに言ってるんだ、おまえ………。魔法薬学。ひとりじゃわからないだろ?教えてやるって言ってるんだよ」 「あ………そっちね。そうだね。異存はありません」 大仰に安堵するわたしなど気にもしないで、マルフォイは少年の顔をしながら、機嫌よくわたしをひっぱっていってくれる。この力強さに心地のよいものを感じて、わたしもつい笑った。 * * * 「おい聞いてるのか?マロニエの葉の量はこの数式でいうyに代用して……」 「ねえ、わたし、ほんとに超能力者なんだよ?」 「へー。すごいすごい。つまり蝙蝠の血液50mlに対して、マロニエの葉は……」 「信じてくれないし……。いいけど、ほんとに来週超能力かけるよ?誓約書書いてもらおうかな。こわいなあ。」 「にしても、ほんとに超能力だというおまえの主張が正しいんなら、ずいぶんものすごい超能力者だな?めちゃくちゃ強力じゃないか」 「やだ、そんな……そんなに強力にわたしのこと好きだなんて言われても困るし……」 「あほか?よくも一年以上も効果が持続できたなって言ってるんだ。これにトカゲの尻尾をxとしてだな……」 「え?超能力かけたの、おとついだよ?」 「ん?」 「え?」 |